ご希望の野球場情報を無料で検索できます。

施設検索/ホームメイト・リサーチTOP

ホームメイト野球場リサーチ

野球情報

プロ野球チーム
「北海道日本ハムファイターズ」



北海道日本ハムファイターズは、2003年に東京から北海道へと移転し、心機一転再スタートを図ったチームです。地域密着や斬新なファンサービスなど、球界に新風を吹き込む存在として注目を浴びています。華のあるスター選手が多く所属し、広い札幌ドームを活かした堅実な野球で、近年は上位争いの常連となっています。

ファイターズの礎を築いた男たち

ファイターズの礎を築いた男たち

北海道日本ハムファイターズの歴史をたどると、1945年「セネターズ」として誕生、その後「フライヤーズ」時代を経て「日本ハムファイターズ」となりました。「ファイターズ」として産声を上げたばかりのころ、その後の礎を築いたとも言える2人の存在がありました。ひとりはファイターズの初代オーナーにして生みの親、大社義規さん。とにかく野球好きで知られ、誰よりも情熱を持って経営に携わり、1981年の優勝時には、一ファンとして誰よりもその栄光を喜んだそうです。大社さんは背番号「100」のユニフォームを好んで着ており、現在はファイターズの永久欠番となっています。もう一人は「親分」の愛称で親しまれ、1981年にチームを優勝に導いた大沢啓二監督です。若手育成のため二軍設備の充実を訴えたことで、千葉県鎌ヶ谷に専用グラウンドと室内練習場が完成しました。この2人の功績とチームへの愛情は、今もなおファイターズに受け継がれているのです。

北の大地に降り立ったスター

北の大地に降り立ったスター

2002年、ファイターズに一大転機が訪れました。本拠地を北海道の札幌ドームへ移転する案が持ち上がったのです。長らく優勝から見放されていた弱小チームの北海道移転に、当時は懸念の声が多く聞かれました。そんな状況を大きく変えたのが、メジャーリーグから帰ってきた新庄剛志選手でした。ファイターズの入団会見で「札幌ドームを満員にする」と宣言すると、様々なアイデアでファンサービスを行ない、チームを盛り上げたのです。他の選手も巻き込んでパフォーマンスを行なうなど、一風変わったファンサービスがチームの名物となると、プレーでも勝負強いバッティングと華麗な守備でチームを盛り立て、ファイターズを一躍人気チームへと押し上げました。満員となった札幌ドームで、大社オーナーは「夢のようや」と目を細めたそうです。新庄選手は、2006年シーズン中に突然の引退を表明すると、その年ファイターズは驚くほどの勝負強さを見せて、実に44年ぶりの優勝を成し遂げ、このスターの有終の美を飾ったのでした。

メジャー式!?ファイターズのスタイル

メジャー式!?ファイターズのスタイル

ファイターズの特徴といえば、生え抜きのベテランや主力選手であってもトレードに出されるような、メジャーリーグ式のドライなチーム編成です。その根拠となっているのは、開発に1億円を投じたという「ベースボール・オペレーション・システム(BOS)」という情報システムです。このシステムによって算出された、客観的な数値を基に、選手の放出・獲得を敢行し、若手選手の育成を行なっているのです。そんなドライなチーム編成とは裏腹に、チーム全体の明るさ・仲の良さは有名で、監督までもが選手に混じってグラウンド上でじゃれ合う風景は、札幌ドームの名物となっています。これは、北海道移転前年にチームに加わったトレイ・ヒルマン監督と、前述の新庄選手の影響が今もなおチームカラーとして根付いたもので、地元ファンにとっては、馴染みやすく応援したくなる雰囲気のチームとなっています。