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プロ野球チーム「千葉ロッテマリーンズ」



千葉ロッテマリーンズは、近年まではなかなか苦戦続きで、ファンをやきもきさせてきました。しかし、ひとりの名監督がアメリカからやって来たことをきっかけに、めきめきと力をつけ、最近ではクライマックスシリーズ進出も珍しくはないほどの戦いぶりを見せています。

千葉ロッテマリーンズの長い冬

千葉ロッテマリーンズの長い冬

千葉ロッテマリーンズは1949年、毎日オリオンズとして誕生し、参加初年度には2リーグ制となって最初のチャンピオンに輝きました。しかし1974年の日本一を最後に、長い低迷が始まります。この時代のオリオンズはなかなか勝てない上に、首都圏のチームが多かった事情もあって、当時の本拠地だった川崎球場には、いつも閑古鳥が鳴いていました。外野席では流しそうめんを楽しむファンまで現れる有様で、不人気球団と揶揄されたマリーンズ悲話の一つとして語り継がれています。1991年に千葉県へと移転し「千葉ロッテマリーンズ」と改称しても状況は変わらず、なかなか勝てない日々が続きました。しかし、一人の監督が状況を変え始めたのです。

ボビー・マジック

ボビー・マジック

1995年、マリーンズを率いたのは、アメリカ人のボビー・バレンタイン監督でした。チームを10年ぶりのAクラスに導く手腕を発揮したものの、フロントとの確執が原因で一度は解任されてしまいます。しかし、その後なかなか上向かないチーム状況を見かねて、2004年から再びマリーンズの指揮官として舞い戻ったのです。その年には自身が率いた1995年以来9年ぶりの勝率5割を達成し、翌年には2位からプレーオフを勝ち上がってリーグ制覇を果たします。そして日本シリーズでは、圧倒的強さで阪神タイガースを退け、実に31年ぶりの日本一へとチームを導いたのです。この年のバレンタイン監督は、毎日スタメンを入れ替えるなどの独特な采配を見せ、その采配は「ボビー・マジック」と呼ばれました。チームが強くなったことに加え、バレンタイン監督の陽気なキャラクターも相まって、このころからマリーンズはすっかり不人気球団の汚名を返上したのです。マリーンズを変えたこの監督は、2009年までマリーンズを指揮し、惜しまれながら祖国アメリカへと戻ったのでした。

史上最大の下克上

史上最大の下克上

バレンタイン監督から、西村徳文監督へと交代して迎えた2010年シーズン、マリーンズファンにとっては忘れられないシーズンとなりました。補強選手や若手選手の活躍により、マリーンズは前半戦、一時首位に立ちますが、主力選手に故障が相次ぎ、徐々に順位を下げると終盤には3位争いに巻き込まれてしまいます。しかし、シーズン最後の3試合をなんとか3連勝して3位に滑り込むと、ここからドラマが待っていました。クライマックスシリーズファーストステージでは、埼玉西武ライオンズから勝利を納め、ファイナルステージの福岡ソフトバンクホークス戦では、先に王手をかけられながら、3連勝で逆転したのです。そして迎えた日本シリーズ、中日ドラゴンズとの試合は第7戦、延長12回に岡田幸文選手のタイムリーヒットによって、マリーンズは5年ぶり4度目の日本一に輝きました。クライマックスシリーズ導入後初めて、シーズン3位からの日本シリーズ優勝という、史上最大の下克上を成し遂げたのでした。