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プロ野球チーム「東京ヤクルトスワローズ」



東京ヤクルトスワローズは、その名の通り首都東京に本拠地を置くプロ野球チームです。本拠地球場の神宮球場は、アマチュア野球の聖地としても知られ、東京六大学野球にも使用されています。

晴れの日も、傘を持って神宮へ

晴れの日も、傘を持って神宮へ

東京ヤクルトスワローズは、1950年に国鉄スワローズとして誕生したチームです。伝統的に期待以上に外国人選手が活躍するチームとして知られ、オマリー選手やラミレス選手、ペタジーニ選手、グライシンガー選手、イム・チャンヨン選手など、名前を上げればきりがありません。応援が特徴的なことも有名で、得点が入った際には「東京音頭」に合わせて、緑や青の傘を振りながら踊るのが定番となっています。この傘を使った応援スタイルは、「応援グッズを買わなくても、家にあるもので応援に参加してもらえる」ということと、不人気だった国鉄スワローズのために少しでもファンが多くいるように見せるために、当時の名物応援軍団長だった岡田正泰さんのアイデアで生まれた応援方法です。スタンドで傘を降りながら応援するファンの姿は、その後も受け継がれ、神宮球場の名物となっているのです。

最強・東京ヤクルトスワローズ

最強・東京ヤクルトスワローズ

発足から長きに渡り、スワローズは苦しい時代を過ごしました。1978年に初めて優勝したものの、その後は再び低迷してしまいます。ようやく長いトンネルを脱したのは1990年代のことでした。伊藤智仁選手、川崎憲次郎選手、石井一久選手、高津臣吾選手ら、強力投手陣を擁し、外国人選手を連れて来れば軒並み大活躍ということもあって、スワローズは一気にセントラル・リーグの強豪へと台頭したのです。1990年代は4度のリーグ制覇を成し遂げ、そのうち3度は日本一を達成するなど、黄金時代を築き上げました。2001年の日本一を最後に、優勝からは遠ざかっていますが、黄金時代に根付いた「投手王国・スワローズ」の流れは現在も受け継がれており、ファンは黄金時代の復活に期待を寄せています。

ID野球を知らしめた2人

ID野球を知らしめた2人

1990年代のスワローズは、強力投手陣の守備力と外国人スラッガーの攻撃力に支えられたチームでした。しかし、このチームの看板は何と言っても「ID野球」と呼ばれた緻密なデータ野球を浸透させた智将・野村克也監督と、その申し子・古田敦也選手だったのです。野村監督は1990年に就任すると、その年の新人だった古田選手を正捕手に抜擢します。古田選手はその期待に応える急成長を見せ、リーグを代表する投手たちを、見事なリードで引っ張ったのでした。また、2年目の1991年に首位打者を獲得するなど、打撃でも活躍を見せ、通算でMVPを2度、ゴールデングラブ賞を10度獲得し、今も古田選手の付けた背番号「27」が欠番扱いになるなど、日本を代表する捕手となったのでした。そのように名捕手を見出し、成長させた野村監督ですが、その眼力は新しい芽を見つけるだけではありませんでした。伸び悩んでいる選手や他球団から戦力外通告を受けた選手を、コンバートや起用法で次々と復活させ、「野村再生工場」と呼ばれるようになったのです。強かったスワローズの象徴とも言えるこの二人は、時代が流れた今もファンに愛されています。