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プロ野球チーム「広島東洋カープ」



かつて「赤ヘル軍団」として恐れられた広島東洋カープ。プロ野球球団唯一の市民球団として、市民に愛される球団となっています。最近ではなかなか上位に進出できませんが、黄金時代を知るファンとともに、虎視眈々と優勝を狙っています。

低迷する市民球団

低迷する市民球団

広島東洋カープは、1949年に原爆による被害からの復興の象徴として、広島野球倶楽部を設立し、日本野球連盟に加盟を申請しました。球団名は、広島市を流れる太田川が鯉の産地であったことや、広島城が鯉城と呼ばれていたことなどから、広島カープとなりました。しかし親会社を持たない球団だったため、資金繰りに苦しみながらの経営でした。リーグ参加は、2リーグ制が始まった1950年からだったのですが、有望な選手は長谷川良平投手や白石勝巳選手など少数で、1年目は優勝した松竹ロビンスとのゲーム差59、勝率.299の最下位に終わります。その後も経営状態はなかなか改善されず、強化も進みませんでした。

カープを救った樽募金

カープを救った樽募金

カープは1951年、深刻な経営状態から、球団の解散や大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)との合併の話が持ち上がります。そんなカープの資金難を救ったのは、広島市民でした。当時の本拠地球場であった広島総合球場(現在のCoca-Cola West野球場)の入り口に酒樽を置き、募金によって400万円を集めたのです。この募金は「樽募金」と呼ばれ、広島市民のカープへの愛情を示したのです。2000年代には、新球場の建設のために、市民を盛り上げる意味もあって、「たる募金」を行ないました。

赤ヘル軍団の黄金時代

赤ヘル軍団の黄金時代

カープと言えば、赤いチームカラーが特徴です。初めてカープの帽子やヘルメットが赤になったのは、1975年のことでした。この年、球団初の外国人監督として、ジョー・ルーツが就任します。チームカラーの赤は、燃える闘志を表していました。ルーツ監督は、シーズン途中に辞任することになりますが、代わって監督に就任した古葉竹識の元、創立25年目にして初の優勝を果たします。ここから、4度のホームラン王や3度の打点王などに輝いた山本浩二選手や、「鉄人」の異名で知られる衣笠祥雄選手などを擁して「赤ヘル軍団」の黄金時代を迎えます。

もう一度、優勝を目指して

もう一度、優勝を目指して

一躍強豪チームとなったカープでしたが、3年間は優勝に届きませんでした。1979年に、4年ぶり2度目のリーグ優勝を果たすと、日本シリーズで近鉄バファローズを下し、初の日本一に輝きます。日本シリーズ第7戦で、ノーアウト満塁のピンチを江夏豊投手が無失点で切り抜けた場面は、「江夏の21球」として、いまだに野球ファンの間で語り草となっています。カープは翌年も日本シリーズを制覇して、セントラル・リーグでは、ジャイアンツ以外では唯一の日本シリーズ連覇を達成しています。1990年代前半まで、強豪チームとして恐れられた赤ヘル軍団でしたが、近年は下位に沈むシーズンが続いており、2007年から導入されたクライマックスシリーズには出場できずにいます。しかし、2010年に最多勝、最優秀防御率、最多奪三振の投手三冠を達成した前田健太選手など、有望な選手が育ってきており、広島ファンは近い将来に再び赤ヘル軍団が日本一になることを信じているのです。