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名古屋市郊外でプロ野球が始まった



野球が日本で最も人気のあるスポーツとなったことには、プロ野球の存在が重要な役割を果たしました。日本で初めてプロ野球の試合が行なわれたのは、1936年のこと。舞台となったのは阪神甲子園球場でも、明治神宮野球場でもなく、現在の愛知県名古屋市にあった鳴海球場でした。

鳴海球場は東海野球王国のメッカ

鳴海球場は東海野球王国のメッカ

大正時代の末期から昭和の初期にかけて、現在の高校野球に相当する中学野球や、大学野球の人気が高まり、本格的な野球場がいくつも建設されました。愛知県では、愛知電気鉄道(現在の名古屋鉄道)が沿線開発の一環として、本格的な球場を建設しています。1927年に、両翼106m、センターの外野フェンスまで132mという、現在の甲子園よりも広い球場が完成しました。それが鳴海球場です。1931年と1934年にはこの鳴海球場で日米野球が開催され、ルー・ゲーリックとベーブ・ルースという、スター選手を擁するアメリカ大リーグ選抜がプレーしました。また中等野球大会(現在の高校野球大会)の予選のすべての試合が鳴海球場で行なわれ、1931年の夏の甲子園大会で地元の中京商業が3連覇を果たしたことから、東海野球王国のメッカと呼ばれるようになりました。

プロ野球の第一歩

プロ野球の第一歩

1936年に、プロ野球球団として活動していた東京巨人軍(現在の読売ジャイアンツ)と大阪タイガース(現在の阪神タイガース)に、名古屋軍(現在の中日ドラゴンズ)、東京セネタース、阪急軍(現在のオリックス・バファローズ)、大東京軍、名古屋金鯱軍の7球団で日本職業野球連盟(現在の日本野球機構)が設立されました。日本職業野球連盟の設立後、初めて行なわれた東京巨人軍対名古屋金鯱軍の試合が1936年2月9日に鳴海球場で開催されています。この試合は名古屋金鯱軍が10対3で勝利し、現在まで脈々と続くプロ野球の歴史の、第一歩を刻んでいます。

幕を閉じる球場としての歴史

幕を閉じる球場としての歴史

始まったばかりのプロ野球の公式戦は、後楽園球場、阪神甲子園球場、阪急西宮球場の3球場での開催がほとんどで、鳴海球場で戦前に行なわれた試合は、わずか12試合の開催にとどまりました。太平洋戦争を経て、1946年に再びプロ野球が開催されるようになると、1948年には地方での試合が増加し、中日ドラゴンズの主催試合も行なわれていますが、この年の12月に中日スタヂアム(現在のナゴヤ球場)が竣工すると、名古屋でのプロ野球は中日スタヂアムで開催されることになりました。1951年に大改修を行なったものの観客動員は伸びず、1958年には閉鎖となってしまったのです。

今も見られる歴史の跡

今も見られる歴史の跡

1959年、鳴海球場の跡に名鉄自動車学校が開校しました。グラウンド部分が教習コースとなっており、外周の形は、フィールドのスタンドに沿っていることがわかります。また開校当初に残されていたメインスタンドは撤去されたものの、一塁側と三塁側の内野スタンドは事務所や待合室、車庫などとして残されています。2007年には、鳴海球場の開設80周年を記念して、教習コースの改修に合わせてかつてのホームベースの位置に金色のホームベースが設置されました。これは教習が行なわれていない時間であれば、一般の人も見学できます。