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日本で最初の少年野球場で王選手は育った



プロ野球公式戦通算868本のホームラン、13年連続を含む15回のホームラン王、1シーズン55ホームランなど、前人未到の大記録を打ち立てた、元読売ジャイアンツの王貞治選手。引退後は監督として、ジャイアンツ、福岡ソフトバンクホークスで活躍しました。そんな王選手のルーツは、少年時代のある球場にありました。

王選手が育った隅田公園少年野球場

王選手が育った隅田公園少年野球場

数々の栄冠を手にしてきた王選手が、少年時代に野球に明け暮れたのが、終戦後の1949年に「少年に明日への希望」をスローガンとして誕生した、日本で最初の少年野球場、隅田少年野球場でした。現在の東京都墨田区に生まれた王選手は、少年時代から飛び抜けた長打力で、ホームランボールが隅田川に飛び込むため、虫取り網で拾っていたそうです。現在では隅田公園少年野球場の入り口ゲートには、王選手の代名詞とも言える一本足打法のレリーフが掲げられています。

この頃、毎日オリオンズの選手でのちに打撃の師となる荒川博選手と偶然出会い、左利きにも関わらず右打ちだった王選手は、左打ちをすすめられ、それをきっかけに左打ちになったそうです。その時、中学2年生だった王選手は、すでに身長176cmと大柄で、荒川博選手は高校生だと勘違いしたというエピソードも残っています。

世界のホームラン王

世界のホームラン王

王選手は、早稲田実業2年のとき、春の選抜高等学校野球大会で優勝投手となり、1959年に読売ジャイアンツに入団しました。入団直後から野手に転向しますが、3年間は平凡な成績に終わります。転機となったのは入団4年目に、打撃の師、荒川博がジャイアンツの打撃コーチに就任したことでした。王選手は荒川コーチと二人三脚で様々なフォームを試し、一本足打法を身につけます。するとこの年、38本のホームランを放ち、85打点を挙げて二冠を獲得する活躍をみせ、それから13年間連続ホームラン王という、とてつもない記録を達成しました。1975年に連続ホームラン王こそ止まったものの、翌年には14度目のホームラン王を獲得し、その翌1977年、通算756本目のホームランを放ち、ハンク・アーロン選手のメジャー記録を抜いたのでした。この偉業から、王選手には初めての国民栄誉賞が贈られました。1980年に30本のホームランを打ち、通算868本という大記録を打ち立てた王選手は、自分のバッティングができなくなったことを理由に、惜しまれながら引退しました。

監督・王貞治

監督・王貞治

王選手は、引退した翌年の1981年から、ジャイアンツの助監督に就任しました。1984年には監督に就任し、1987年にはチームをリーグ優勝に導きます。1988年に辞任し、解説者を務めていましたが、1995年に福岡ダイエーホークス(現在の福岡ソフトバンクホークス)の監督に就任します。ところが王監督率いるホークスは低迷し、1996年には球場から出てきた選手たちの乗ったバスに生卵をぶつけられるという事件まで起こってしまいました。これに対して王監督は「これをファンの意見と取るならば、勝つしかないんだよ」と、毅然とした対応をとったそうです。それを見た選手たちは奮起し、2年後にAクラス(3位以内)入りを果たすと、翌1999年には初のリーグ優勝と日本一に輝いたのです。ホークスの黄金時代を築きあげた王監督は、2008年に監督を退いてからもホークスの球団会長として、野球界を支えています。