ご希望の野球場情報を無料で検索できます。

施設検索/ホームメイト・リサーチTOP

ホームメイト野球場リサーチ

野球情報

ミスタープロ野球が
高校時代に打った唯一のホームラン



輝かしい実績と持ち前のキャラクターで、「ミスタープロ野球」や「ミスター」と呼ばれ、愛され続ける長嶋茂雄、読売ジャイアンツ終身名誉監督。1988年に野球殿堂入りをし、2005年に文化功労者、2013年には国民栄誉賞を授与された日本の野球を代表する人物です。選手時代、監督時代と築きあげた活躍の原点には、高校時代に放った1本のホームランがありました。

タイトルや賞を総なめにした選手時代

タイトルや賞を総なめにした選手時代

長嶋選手はプロ野球選手時代、新人王、MVP5回、首位打者6回、本塁打王2回、打点王5回、ベストナイン17回(入団から引退まで全シーズン受賞)、ダイアモンドグラブ賞(現在のゴールデングラブ賞)2回のタイトルを獲得します。日本シリーズでも史上最多となるMVP4回など、数々の実績を残しました。またオールスターゲームでは、入団から引退までの17年間、ファン投票連続1位と、ファンから愛され続けたスター選手だったことが分かります。ジャイアンツを監督として率いた時代には、日本一2回、リーグ優勝5回の成績を残しています。選手から監督までジャイアンツにこだわり続けた長嶋茂雄は、「ミスタージャイアンツ」とも呼ばれています。

多くのファンを引き連れ、立教大学からジャイアンツへ

多くのファンを引き連れ、立教大学からジャイアンツへ

プロ野球で、数々の実績を残した長嶋茂雄選手は、ジャイアンツに入団する前は大学野球で活躍しました。1954年に立教大学経済学部に進学した長嶋選手は、東京六大学野球では、1956年の春季リーグと1957年の秋季リーグで首位打者になり、1957年には六大学リーグの通算記録となる8本の本塁打を放つ活躍をみせました。この頃は、プロ野球よりも大学野球の人気が高かったのですが、1958年に長嶋選手がジャイアンツに入団したことで、プロ野球の人気が加熱したと言われています。

1959年6月25日の対大阪タイガース(現在の阪神タイガース)戦は、長嶋選手を語る上で外せない試合です。この試合は、昭和天皇が観戦する日本プロ野球史上初の天覧試合で、長嶋選手は劇的なサヨナラ本塁打を放ちます。このことがきっかけで、長嶋選手はチャンスに強い打者として日本中に知られる存在となりました。

高校時代"唯一"の特大ホームラン

高校時代

大学時代、そしてプロ野球時代と、輝かしい成績を残した長嶋選手ですが、高校時代は春・夏共に甲子園大会出場は叶いませんでした。しかも公式試合での本塁打は1本のみ。しかし、その1本の本塁打が、長嶋選手の人生を大きく変えたのです。

1953年、長嶋選手がいた佐倉第一高校(現在の佐倉高校)は、千葉県代表として南関東大会に出場します。この南関東大会は、勝てば夏の甲子園に出場できるという重要な大会で、3年生の長嶋選手にとっては最後の大会でした。8月1日の初戦、熊谷高校との試合は、埼玉県の大宮球場で行われました。0対3の熊谷高校リードで迎えた6回、長嶋選手の打球は、ライナーでバックスクリーン下の芝生へ突き刺さったのです。試合は、1対4で負けてしまいますが、この本塁打は「大本塁打」と新聞に取り上げられ、スター選手としての階段を登っていく第一歩になったのです。