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野茂投手は高校野球5回戦で予選敗退



野茂英雄投手は、社会人野球で3年間、日本のプロ野球で5年間プレーし、その後は日本人メジャーリーガーとして活躍した名投手です。代名詞とも言える「トルネード投法」で、三振の山を築き、日米の両方で輝かしい成績を残しました。

5回戦敗退で終わった大阪大会

5回戦敗退で終わった大阪大会

野茂投手の「トルネード投法」は、成城工業高校(現在の成城高校)時代にはすでに確立されつつありました。1985年の全国高等学校野球選手権(夏の甲子園)の大阪大会で、2年生ながらエースとしてマウンドに立ち、生野高校を相手に、大会史上2人目となる完全試合を達成しています。

3年生になって迎えた夏の予選、公立高校ながら優勝を狙えるピッチャーとして、注目を集めていました。強豪校がひしめく大阪大会で、5回戦に進出した成城工業は、古豪・興国高校を相手に7回まで0-0で進みます。しかし野茂投手は8回に2アウト2塁からヒットを打たれ、その1点が決勝点となって敗退してしまいます。のちに社会人、プロ野球、そしてメジャーリーグでも、数々の記録を残す野茂投手も、高校野球は県大会ベスト16という結果で幕を閉じたのでした。

伝説として語られる、5年間のプロ野球時代

伝説として語られる、5年間のプロ野球時代

野茂投手は、高校卒業後、新日本製鐵堺へ入社し、社会人野球の道を歩みます。2年目となる1988年、チームは社会人野球で最も重要な大会である都市対抗野球大会へ進出し、野茂投手個人としては、日本代表に選出され、ソウルオリンピックで銀メダルを獲得しました。野茂投手は、名実共にアマチュアナンバーワン投手として、さらに注目を集める存在になっていきました。

翌年の1989年、野茂投手は、ドラフト会議で史上最多となる、8球団から1位指名を受け、近鉄バファローズに入団します。プロ1年目から野茂投手の成績は輝かしく、1990年4月29日のオリックス・ブルーウェーブ(現在のオリックス・バファローズ)戦で、当時の1試合奪三振記録タイとなる17奪三振を記録してプロ初勝利を飾ると、その年の最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率のパ・リーグ投手四冠を独占します。さらに、新人王、ベストナイン、リーグMVP、沢村賞も受賞し、主要な賞を総なめにしたのです。その後も、1993年まで4年連続で最多勝と最多奪三振の二冠を獲得し続けるなど、プロ野球でもその実力を存分に見せつけたのです。

日本人メジャーリーガーのパイオニアへ

日本人メジャーリーガーのパイオニアへ

野茂投手に転機が訪れたのは1995年でした。バファローズとの確執が表面化し、野茂投手はメジャーリーグへの挑戦を決めたのです。ロサンゼルス・ドジャースへ入団した野茂投手は、5月2日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦でメジャー初登板と初先発を果たした後、6月2日のニューヨーク・メッツ戦で球団新人最多記録の16奪三振を記録して初勝利。その後も活躍を続け、メジャーリーグでも新人王と最多奪三振を獲得しました。独特のトルネード投法から人気は広がり、野茂ファンを形容する「NOMOマニア」という言葉が生まれるほどでした。2005年6月には日米通算200勝を達成するなど、初めて長期にわたってメジャーリーグで活躍した日本人として、野球ファンに知られるようになります。野茂投手は「日本人メジャーリーガーのパイオニア」と呼ばれるようになり、多くの野球選手が野茂投手の背中を追う形で、メジャーリーグへと活躍の場を広げていったのです。