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15万人が残留を求めた工藤公康投手



プロ野球歴代1位となる実働29年の記録を持つ工藤公康投手。1982年のデビューから2010年の引退まで、最優秀防御率4度、最高勝率4度、最多奪三振2度、ベストナイン3度、ゴールデングラブ賞3度など、輝かしい成績を収めています。また、工藤投手はチームメイトやファンからも愛されており、その優しい人柄が感じられるエピソードも数多く残されています。

西武ライオンズ黄金期のエースとして活躍

1981年、高3の夏、甲子園に出場した工藤投手は、史上18人目、19度目のノーヒットノーランを達成するなど、チームをベスト4に導きます。翌年、西武ライオンズにドラフト6位で入団すると、1年目から中継ぎ投手として登板機会を与えられます。1985年には、初のタイトルとなる最優秀防御率を獲得。1986年の日本シリーズでは、投手ながらサヨナラ安打を記録するなど、1勝2セーブの活躍でMVPに選ばれます。翌年の日本シリーズでも、2年連続となるMVPを受賞し、リーグでも最優秀防御率、最高勝率、ベストナインなどのタイトルを獲得します。名実ともにパシフィック・リーグを代表する左投手となった工藤投手は、ライオンズが9シーズンで8度の優勝を果たし、黄金期を迎えた1986年~1994年のエースとして、チームを牽引したのです。

ホークスの再建と城島の育成

工藤投手は、1995年に王貞治監督が率いる福岡ダイエーホークス(現在の福岡ソフトバンクホークス)へ移籍し、低迷していたチームの再建を託されます。工藤投手はホークスでもエースとして活躍し、1999年にチームを念願のリーグ優勝と日本一へと導きます。また、選手育成にも貢献し、なかでもメジャーリーグ・シアトルマリナーズでも正捕手として活躍した城島選手との逸話は有名です。工藤投手はシーズン中、城島選手が出すサインでは「打たれる」と分かっていても、あえて首は振らずサインに従い、打たれた後にベンチ前で城島選手にサインの意図を問い詰めるなど、体当たりの指導で正捕手へと育てあげるのです。そして、99年のシーズンは開幕前に「今年はサインに一切首を振らない。自信を持て!」と伝え、見事その年の最優秀バッテリー賞を受賞するのでした。マウンド付近で工藤投手と涙を流す城島選手が抱擁するシーンは、今でも名シーンとして語られています。

残留を求めた15万人のファン

ダイエーを初のリーグ優勝、日本一へ導いた工藤投手でしたが、99年のシーズン終了後にFA権を行使し移籍を志願します。これには、ファンはもちろんチームメイトにも激震が走りました。この年、工藤投手はリーグMVPに輝き、最優秀防御率と最多奪三振の二冠を獲得したにも関わらず、球団側から条件を含め誠実さを欠いた対応を受けたのです。工藤投手は、チームの厳しい財政事情も把握していただけに、金額の問題ではなく、値踏みするような球団側の対応に不信感を抱き、移籍を決意したのです。福岡の街では「残留要請署名」がスタートし、最終的には15万人もの署名が集まりました。移籍してやってきた選手に対して、これだけの署名が集るほど、工藤投手はホークスのファンに愛されていたのです。しかし、それでも工藤投手の気持ちが変わることはなく、読売ジャイアンツへ移籍してしまいます。ただ、この時のファンの行動に感動した工藤投手は、移籍後も数年間をかけて15万人のファン一人ひとりに、直筆で宛名を書いて感謝の手紙を贈ったそうです。こうした誠実な対応も、工藤投手がファンに愛された理由のひとつなのでしょう。