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遊びで覚えたスクリューが決め球に



本格左腕として今も一軍で活躍している、現役最年長のプロ野球選手・山本昌投手。プロ野球最年長先発登板、セントラル・リーグ最年長登板、最年長勝利記録など、数々の記録を更新し続けています。デビューから中日ドラゴンズ一筋で活躍する山本昌投手の、最大の武器はスクリューボール。その武器の取得には、ユニークなエピソードが隠されていました。

失格の烙印!4年半の下積み時代

失格の烙印!4年半の下積み時代

今では球界を代表する左腕となった山本昌投手は、甲子園出場経験もなく、1984年のデビュー当時は全国的には無名の選手でした。球速はなく、お世辞にも綺麗と言えない変則的な投球フォームは、ドラゴンズの首脳陣からも「即戦力にならない」と評価されてしまいます。プロ入り後2年間は1軍での登板もなく、ようやく1軍に登板した3年目と4年目のシーズンも、思うような成績を残せていません。そんな山本昌投手に転機が訪れるのは、1988年5年目のシーズン開幕前のアメリカ留学に参加したときのことでした。

体格にフィットした、本場アメリカの指導者

体格にフィットした、本場アメリカの指導者

1988年2月、山本昌投手はドラゴンズと業務提携していたロサンゼルス・ドジャースへ交換留学生として派遣されます。当時の監督だった星野仙一監督からは「長身で手足の長い山本昌投手を指導するには、そういう選手の扱いに慣れている本場アメリカの指導者のほうがうまくいくかもしれない」という、わずかな期待を掛けられていたようです。アメリカでは、山本昌投手が恩師と仰ぐ、ドジャースの職員のアイク生原に、投手の基本とされる低めへのコントロールやスローカーブの精度の向上、そして生活習慣を厳しく指導されます。その中で、失いかけていた野球への情熱や楽しさも取り戻していくのでした。

遊びで投げたスクリューが、最強の決め球に!

遊びで投げたスクリューが、最強の決め球に!

山本昌投手は、3月にアイク生原に連れられて、左腕としてはメジャー最多勝利を収めた、ドジャース所属のフェルナンド・バレンズエラ投手のピッチング練習を見学し、そこでスクリューボールの凄さをまじまじと見せつけられます。しかし、のちに「そのとき見たスクリューボールはあまりにも衝撃的で、絶対に投げられないと思った」と語っており、身につけることはできませんでした。ところが、その2ヶ月後、キャッチボールでチームメイトの内野手が、遊びでスクリューボールを投げているのを目撃し、投げ方を教わります。この球の曲がり方があまりにも鋭く曲がるので、試合でも試してみたところ、打者がいとも簡単に打ち取れたのです。それで山本昌投手は、アイク生原と二人三脚でスクリューボールを完成させるのでした。山本昌投手はスクリューボールを武器に1Aで活躍し、1Aのオールスターゲームにも選出されました。当初は1年間の留学予定でしたが、星野監督に戦力として期待され、1988年のシーズン途中に日本へ復帰します。1990年代以降は、通算200賞やノーヒットノーランなど数々の記録を打ち立て、球界を代表する左腕へと成長しました。遊びで覚えたスクリューが、今では山本昌投手の伝家の宝刀と呼ばれるなんて、誰も想像しなかったでしょう。