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高校野球で一度負けても優勝できた?



「夏の甲子園」と呼ばれ、夏の風物詩とされている全国高等学校野球選手権大会。2013年には第95回を数える、歴史ある大会です。高校日本一を決める全国高等学校野球選手権大会は、負ければ即敗退のトーナメントで、優勝するためには一度も負けられない大会です。ただ、過去には一度負けてしまったにもかかわらず、優勝を勝ち取ったチームがありました。

開催当初の全国高等学校野球選手権大会

開催当初の全国高等学校野球選手権大会

全国高等学校野球選手権大会は、当初「全国中等学校優勝野球大会」という名称で、1915年の第1回大会と翌年の第2回大会は、大阪の豊中球場で開催されていました。その後、豊中球場の収容人数の少なさが問題となり、第3回大会は兵庫の鳴尾球場が会場になります。現在のように、阪神甲子園球場が使われるようになったのは、第10回大会からでした。実は、まだ甲子園が開場になる前の第2回と第3回大会では、敗者復活戦が行なわれていたのです。

敗者復活戦を勝ち抜き、決勝戦へ

敗者復活戦を勝ち抜き、決勝戦へ

敗者復活戦からの優勝校が出たのは、第3回大会でした。各地方から集まった12校のなかで、敗者復活戦を勝ち進んで優勝を手に入れ、第3回大会の主役となったのは、愛知一中(現在の旭丘高校)でした。

愛知一中の1回戦の相手は、長野師範(現在の信州大学教育学部)でしたが、3対4で惜敗してしまいます。敗者復活戦のルールは、初戦で負けた6校の中から抽選で4校が敗者復活戦を行ない、敗者復活戦で勝ち抜いた1校が準決勝に進むというものでした。愛知一中は運良く抽選クジを引き当て、翌日の敗者復活戦に回りました。敗者復活戦に出場するチームは、1日で2試合をこなさなければいけない厳しいものでしたが、和歌山中(現在の桐蔭高校)を1対0、明星商(現在の明星高校)を2対1で下し、準決勝へ進みます。そして、準決勝の杵築中(現在の大社高校)にも、3対2の接戦で勝ち、ついに決勝に駒をすすめたのです。

ノーゲーム、再試合、そして決着

ノーゲーム、再試合、そして決着

ここまで勝ち進んだ愛知一中には、長谷川武治投手というエースの存在がありました。なんとたったひとりで、3日間で4試合も投げ抜いていました。現在は、高校球児のコンディションを考慮し、ピッチャーの分業制がすすみ、スケジュールも過密になり過ぎないように組まれるようになっていますが、当時は体力的にも精神的にも、過酷な大会でした。

愛知一中の決勝戦の相手は、大阪の関西学院中(現在の関西学院高等部)でした。決勝戦は、ピッチャーの投げ合いとなり、5回まではお互いに0点のまま、6回を迎えます。6回表、関西学院中はついに1点を先取。6回裏、愛知一中は点を取ることができないまま、2アウトとなってしまいました。すると、そこに突然の豪雨が襲い、試合はノーゲームで、再試合となってしまったのです。もし、7回に入ってから豪雨が来ていたとしたら、ゲームは成立し、関西学院中の優勝が決まっていました。あと1つのアウトが命運を分け、愛知一中は救われました。翌日の決勝戦の再試合も、前日同様に投手戦が繰り広げられ、9回を終えても0対0のまま、延長戦に入り、延長14回、ついに愛知一中が先取点となる1点を手にし、愛知一中の優勝が決まりました。厳しい試合を勝ち抜き、優勝を手にした愛知一中ですが、敗者復活校が優勝したことは物議を醸し、翌年から敗者復活戦は中止されました。愛知一中は、高校野球史上で唯一の、敗者復活からの優勝校となったのです。